日本大学法学部野宿研究会      
GalleryU| 2011年度長瀞合宿
2011年05月07-08日

5月7日(土)

朝9時過ぎに部長から携帯に電話があった。どうやら東京では雨が降っているらしく、 長瀞ではどうかという内容であった。確かに曇りではあるが、降りそうな気配はない。 雨なら合宿は中止となっていたため、心配して電話してきたのである。 私自信、中止になってほしくはなかったので、念をおして雨は降らないと伝えて おいた。
 昼近くになった頃、次々と人がやってきた。50人は軽く越えているであろう。 昨年は私たち以外ほとんどいなかったので驚きである。皆各々の場所を決めて昼食 をとっていた。バーベキューをしている団体や、写生をしている人もいた。 とにかく昨日とは一変して賑やかな場所になった。
 そうすると、一人テントの前で川の流れを見ているしかない私は無性に虚しく、また淋しく感じた。 やはりソロキャンプは誰も来ない人里離れた場所でするか、オフシーズンにするべきだ、と悟った。
 集合時間である15時ちょっと前に澤井先輩がやって来た。 若干の孤独を感じ始め ていた私にとって先輩との再会はうれしくもあった。澤井先輩はテントの他、飯盒 をわざわざ買って持ってきてくれた。 昨年はご飯無しの夕食だったので今年こそはと昨日買ってきてくれたのだ。 有り難い限りである。あとは奥山が自身が所有している飯盒を持ってきてくれるらしいので、 2つ飯盒があれば心配要らないだろう。
 間もなくして佐相先輩、そして飯塚部長も到着した。残念な事に、嶋田先輩と飯 沼先輩、宗方先輩は来れなくなったのだという。奥山と1年生は少し遅れて合流す るらしい。そして、急きょOBの沼田さんも参加される事になって今こちらに向か っているとのこと。林先輩は今年もヒッチハイクで来るのだという。部長も途中 までは林先輩と一緒にヒッチハイクをして長瀞に向かっていたらしいのだが、集 合時間に間に合わないという理由で、途中からは電車で来たとのこと。
 このまま皆の到着を待っていたら夜になってしまうということで、今いる4人で 買い出しに行くことにした。買い出しに行くスーパーは、ここから1Km程離れた場 所にある。途中、米小売店で米を2kg小分けして売ってもらった。今年の夕食はカ レーとバーベキューである。必要な材料を買い揃え、川辺に帰ってみると、奥山 が到着していた。
 奥山は原付きで来ていた。東京からここまで途中道に迷ったりして6時間もかか ったらしい。集合時間に遅れた理由はこれにあった。去年は昨年まで部長であっ た嶋田先輩と副部長であった飯沼先輩が同じく原付きで来ていたが、奥山はしっ かりと先輩方の精神を受け継いでいたのである。
 奥山が到着してから程なくして1年生も到着し、皆で夕食の支度を始めた。1年生 にカレーの材料を切ってもらい、澤井先輩が煮込み、仕上げを担当した。1年生は よく動いてくれ、こちらとしても非常に助かった。
 夜7時過ぎには沼田さん、林先輩も到着し、参加者全員揃ってカレー、バーベキ ューを楽しんだ。2つあるうちの1つの飯盒で炊いた米がお粥になってしまったと いうのは失敗であったが、カレーの旨さでカバーした。肉も美味しくいただいた。
 食事もそろそろ終わりに入った頃、暗闇の向こうから誰かがやって来た。谷澤先 輩である。参加者は全員揃ったと思っていたのだが、違ったのだ。 谷澤先輩といえば、先輩とまともに会ったのは昨年のこの長瀞合宿だけである。 聞けば長瀞合宿だけは参加するということで、なんと向こうを夜7時過ぎに出たのだという。 それ程までにこの長瀞合宿は人を魅力し虜にするのか、と心底思った。
 食事の最後にはマシュマロを焼いて食べた。テントやその他必要道具のほとんどを奥山や先輩方に持ってきていただき、 基本何もしていなかった私であるが、せめてマシュマロだけはと思い、買って持ってきていたのである。
 なぜマシュマロなんだと思われるかもしれない。 しかしそれは、昨年の長瀞合宿での嶋田元部長の話を覚えていたからである。 その話というのは、嶋田元部長が私たち下級生に焼いて食べるマシュマロを食べさせたかったらしく、 買い出し先の店で探し回った挙げ句、店員さんにまで聞いたけれど、結局取り扱っていないということで買えず残念だったというものである。 あの時の元部長は本当に残念そうな表情をしていたのだ。
 ちなみに昨年は買い出し先のスーパーでは取り扱っていないという事であったが、 今年は棚の上にごく自然に置いてあった。恐らく昨年、元部長たちが買い出しに行ったスーパーと私たちが今年行ったスーパーは同じであると思われる。 だから私は、そのスーパーは元部長のマシュマロに対する熱意に感服し、それでマシュマロを取り扱うようになったのだと勝手に解釈している。
 ともあれ、来年からはわざわざ買って持っていく必要がなくなったのだ。
やはり、焼いて食べるマシュマロは美味い。たまに焼いて食べるというとマシュマロを直火にあてて焼く者がいるが、 あれは敢えてやっているか、正統派の食べ方を知らないのかのどちらかである。 本来の食べ方、正統派の食べ方を知っている者は決して直火なんぞにあてて焼いて食べたりはしない。
 炭の芯まで火が行き渡り、かつ火が落ち着き、うっすらと炭全体が赤みを帯びている状態、 そしてその状態の時に発生する遠赤外線でじっくりと時間をかけて焼いて食べるのが最高に美味く、また正統派なのだ。
 そもそもキャンプにおいてなぜマシュマロは最後に食べられるのかを考えてもらいたい。 遠赤外線というのは、薪や炭に火をつければすぐに発生するものではない。 火のつけはじめは薪に関わらず、炭でも勢いよく燃える。しかし、それはただ炎に勢いがあるだけで、マシュマロを焼くには適さない。 けれども、バーベキューなんかを楽しんで時間が経つ間に火力も落ち着き、じっくりと炭の芯まで熱が行き渡る。 そしていざマシュマロを焼く時には最も良い炭の状態になっているのである。 だからマシュマロは最後に食べる。それが最も美味しい食べ方であるし、理に適った食べ方であるのだ。
 私が昨年の元部長の話を覚えていたのは、この正統派の食べ方を知っていたからでもあるのである。
 皆には勿論この正統派の食べ方で食べていただいた。 正統派の手法により焼いたマシュマロが如何に美味く変貌するのか、わかっていただけたと信じている。
 この後、飯塚部長の素晴らしい心遣いにより、買い出し先で購入した花火を皆で楽しんだ。 そして、深夜0時を過ぎ、飯塚部長の言葉で初日の合宿を締めた。

5月8日(日)

午前4時頃、目を覚ます。テントから出て辺りを見回すと、そこには沼田さんが持ってきた一升ビンが空になって転がっていた。
 午前6時か7時過ぎ、昨年同様、早々に解散した。残った人たちは恒例の銭湯に向かった。 朝8時から営業している野宿研では有名な銭湯である。この銭湯で疲れを流した後、長瀞駅前で再び解散した。 尚も残ったメンバーは近くのメシ屋で昼飯を食べた。そして今度は本当に解散し、皆それぞれの帰路についた。

著_恒屋



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